【Yさんの闘病記 1】違和感 再検査 子供たちの優しさ

平成30年2月10日
ずっと母の様にお世話になっているNSさんから、「いつか誰かの苦しみのお役に立てる日が来るから、起こる出来事を細かに日記につけておくと良いよ」とアドバイスを頂いたので、今日から日記に残すことに。ここまでの経過。

平成30年2月1日
右胸のしこりは前々から気になっていた、元々、平成27年10月に娘を出産、平成28年5月まで娘が母乳を飲んでいたのだけど、飲まなくなりしばらくはおっぱいの残りかな?という感じだった。平成29年10月頃「さすがにこんなに残っているものかな?」と気になり始め、12月頃なんだか大きくなっているような気がして受診することを決める。1月末に予約していたのだけど、大雪の影響で翌週2月1日に初めて受診。結果は2月8日と言われるが、「癌の可能性が高いから、すぐに生検をして細胞を調べた方がいい」と言われる。「乳癌かもしれない」と言われ、どうしていいかわからなくなる。ちょうど息子が熱を出し、お隣の席の子がインフルエンザだったから、「インフルエンザの可能性が高いです」と幼稚園から電話をもらったが、息子をどこの病院に連れて行っていいのかわからない。すぐに連絡を入れた主人の勤務先が受診した病院と近かったので、少し仕事を抜けて顔を見に来てくれた。不安で不安で泣いてしまった。病院の託児所に2歳になった娘を預けていた。託児所に迎えにいった娘の顔を見て、「まだまだこの子を抱っこしたい、ずっとずっと大きくなるまで一緒にいたい」と強く思う。その後、息子を迎えに行って小児科に連れて行ったけど、ずっと癌だと言われたことが頭から離れなかった。
母はショックを受けて、看護師の国家試験を控えていた父も手を止めてしまった。姉は自分自身の胸にも気になるしこりがあったそうで、受診をすることを決めた。早く見つかるに越したことはないから、早めに受診をするように勧める。

平成30年2月8日
1日からの一週間は誰かと気を使って話をすることに耐えられず、ずっと家に引きこもっていた。娘をよく連れて遊びに行っていた支援センターにも行けなかった。息子の幼稚園のママ友のLINEに園のイベントの話が上がる。正直どうでもよくて返信する気になれない。仲良くしている数人に「もしかしたら入院するかも」とだけ伝える。「何か手伝えることがあったら言ってね」と返事があったが、癌とは言えなかった。
結果を聞く日、この日受付のお姉さんが結果を聞く前に、紹介予定の大きな病院にカルテを送るため、個人情報のために必要なサインをして欲しいと言ってきた。2月1日の受診では「癌の可能性が高い」とは言われていたけれど、違う可能性だってあると思う自分がいた、まだ信じられなくて、違うかもしれないと期待を持って受診をしていたので、この対応はとてもショックだった。「結果次第で受診すると聞いていたのですが、これにサインするということは、良くない結果だったということですか?」と思わず聞き返す。受付の方は「私の早とちりでした、結果についてはお答えできません。」と返事をされて、とても落ち込んだ。病院に関わるスタッフは対応にも思いやりの心が必要だと、強く感じた。
結果が出て、医師から癌だと言われる。リンパへの転移があるから、すぐにでも大きな病院で調べてもらうように紹介状を頂く。
結果が出て、妹とNSさんに連絡をする。妹は号泣しながら電話をかけてきた。乳癌は11人に1人はなると言われている病気。「でも、有美がなる必要はない、どうして?」という。でもどの「11人に1人」でも、その1人には、妹が私を想って泣いてくれたように、悲しんでいる人がいるのだと思う。こんなに悲しませて申し訳ないという気持ちと、自分のことをこんなに心配してくれている人がいることに驚いた気持ちもあった。
家でも涙が止まらなくて、家事ができずただ泣いていると、子供達がやってきて抱っこしてくれる。「なかなくていいよ、おかあさん」と、頭を撫でてくれる。「この子たちの傍にもっといたい。もっともっと一緒にいたい」と強く思う。

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