【Yさんの闘病記 5】鎧はもういらない

平成30年2月18日
お世話になっている鍼灸師の先生から、水分をしっかりとるようにとアドバイスを頂いた、不思議なことに、意識しはじめると、どんどん飲みたくなり、湯船でしっかり温まりたいと思うようになる。明日からも続けてやってみようと思った。

平成30年2月20日
昨日は息子の幼稚園のママ友と少し話をした。自分の話をするときに、とても固くなってしまうような、、、もっと柔らかく透明な自分でいたいなと思う。
昨日から少し風邪気味でのどが痛い。鼻も出る。だるい。今日は少しのんびり暖かく過ごそうと思う。今日は生理前だから?胸のしこりのところが時々痛む。ちょっと疲れたのかな?明日は検査だし、ゆっくり過ごしたい。

平成30年2月21日
子どものころ、母に好かれたいと思っていたのか?大切な人に好きでいて貰いたい。だからいい子でいなくては!好きになってもらえないから、頑張るんだ、頑張らないと。これは私が成長する上で身に着けた鎧の一つ。でも、もうそれは捨ててもいいんじゃないかな?誰かに好かれるために、私は生きているのだろうか?本当の私は何だろう?透明で柔らかくて、そんな私をイメージしてみる。肩に力が入る、そんな鎧は捨ててしまおう。
私は、子供達がどんな子供達だって、大好きだ。もし子供達が私に好かれるために、努力して息もできなくなってしまっていたら、そんなことはいますぐやめればいい、そんなことをしなくても、あなたが大好きだよっていうだろう。そして、自分の人生を生きなさいっていうだろう。
古い鎧なんかなくても、私は進んでいけるでしょ?早くはいけなくても、一歩ずつ進んでいけばいいんじゃない?
子どもはもう産めないかもしれない。抗がん剤やホルモン療法を受ければ、もう妊娠することはできなくなるかもしれない。2人もいるんだから、もう子供はいいでしょう。そんな風にみんな言う。でも私は、3人目の子に会いたいとずっとずっと思っていた。私はいつの間にか自分だけは助かる。助けてもらえる。そんな風に棚から牡丹餅を待つ様に、自分だけが幸せならそれでいい。そんな風に傲慢になっていたのかもしれな。不妊治療で子を授かり、二人目を諦めた方がいる。その子はどんな気持ちで私を見ていたのだろうか。彼女の気持ちを本当に考えていただろうか?無神経に傷つけてきたんじゃないかなって思う。3人目はもうダメかもしれないと思った時。今は私の命がある方が大事だから。治すことだけ考えようってヒロ君は言ってくれたけど、私はずっと3人目に会いたいと望んでいた。そう思っていたから、今回の件で会えなくなってしまうかもしれない。そう思うと、本当に辛かった。ずっとそんな辛い気持ちを抱えた方の前で私は無神経に傷つけてきたのかもしれないと気付いた。相手の気持ちを推し量ることができない場面って、やっぱり存在すると思う。不安や怖さ、諦めなければならないこと。そんな悲しみは必ず存在する。他人が簡単に「わかるよ」なんて、言えないよね。ただ傍にいて、一緒に泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いて、泣いたら、前を向いて歩こうって、そう一緒に歩むことかな。小夜さんはずっと、私にそんな風に寄り添ってくださっていたな。自分にできること、精一杯やろうよって、背中を押してくれていた。
私には2人の大切な子供がいる。それに、関わる子供たちを自分の子と同じように育てるということもできる。世の中には、たくさんの悲しみがある、人を羨む心や妬む心もある。人の心には明るい部分だけじゃなくて、影になる部分があること。人の心の影の部分も知ることが大切だと思った。